バブル崩壊から十一年。日本は不況から未だに立ち直れないでいる。完全失業率は5%前後にまで達し、企業の倒産も後を絶たない。このような社会環境の中で失業によるホームレスの増加が目立つようになった。東京都が作成した「ホームレス白書」によれば全国で約二万人、二十三区内だけでも約五千七百人のホームレスが存在するという。当然、日本の各自治体に寄せられる苦情も多くなった。ホームレスでも就労を希望している人は多い。だが、不況による就職難に加え、高齢、病気、けがなどの理由を抱えているためやむを得ず路上生活をしているのが現状だ。この問題を解決するためにはホームレスに対する福祉の充実が必要不可欠となる。私たち(取材班、我々)はホームレスの人に対しての福祉活動を行っている数少ない施設の一つである『救世軍新光館』を取材した。そこには福祉活動の様々な問題が内包されていた。

 

 新宿区の神楽坂を登り、赤城神社の少し先に救世軍新光館は建てられている。歴史は古く、一九〇八年に現在の場所に建てられた。経営の主体は宗教法人「救世軍」で、キリスト教の信仰によって福祉活動をしている。ここには住所不定者で傷病等によって働けなくなった人達が、契約している区の福祉事務所の紹介でやってくる。入館者は通院しながら体を治し、自立を目指す。福祉事務所は治療の経過をみて退館日を決めることになる。通常は半年から一年ほどで退館する。

 現在、新光館の館長を務めている加藤秀夫さんはここへ赴任してから七年目になる。妻は別任務で教会の仕事をして生活し、自分は新光館で住み込みながら入館者の世話をしている。「昔は近所の人に迷惑をかけてしまう入館者も多かったので大変でした」。新光館で飲酒が禁止になったのは十年前。それまでは酔っ払って路上に寝込んでしまったり、けんかなどが絶えなかったために近隣住民からの苦情が多かったという。

 また、元ホームレスだった人達が暮らしている施設ということもあって、近隣住民には実際はない不潔感や不安感といった誤解を過剰に与えてしまっていた。  だが、最近は苦情も少なくなった。

 「五年前に犬の純平君が来てから新光館に対する近隣住民の方の感情も穏やかになってきましたね」。純平君は五年前、目に接着剤をつけられて捨てられていたところを保護された。純平君の引き取り先を探しているのを知った入館者の一人が館長の許可を得て手紙で知らせ、多数の希望者の中から選ばれて、純平君は新光館へやってきた。「純平という名前はこっちに来てから名付けられました。『純粋に平和を望む』という意味なのでしょうね」。愛嬌がよく、吠えないため通行人も可愛がりに来るという。こうした近隣との関わりは新光館の誤解を解くきっかけとなった。

 しかしこうしたボランティア施設はまだまだ理解されていないのが現状だ。「東京都でさえも、近隣の反対で建てることができないんです。新光館も十八年前に更生施設にしようという計画がありましたが反対にあって中止しました。近隣の方にとってホームレスが大勢来る施設というのは嫌なのかもしれませんが、必要とされているのも事実です」。必要だが自分の近くに来るのは困る。こうした論理では問題の解決にはならない。福祉に対する重要性を私たちは改めて理解し、考えなくてはならない。

 ホームレス問題は短期間で解決するのは不可能だ。その人自身の個人的な要因、福祉施設の少なさ、地域住民との摩擦、社会経済状況などが複雑に絡み合っているからだ。特に個人的な要因には様々な理由がある。次号では入館者へのインタビューを通じて、路上生活の辛さ、ボランティア、福祉、行政の現実の姿を浮き彫りにする。

取材者 大関 橋本 2回連載の予定

 

  


 

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