横田順彌さんが法政大学に入学したのは昭和三十九年。二度目の安保の時だった。
 「学校中がガタガタでした。僕らが騒いだって国なんか変わらない。
無駄なことだからよしましょうと言ったんです。
そしたら学生運動をしている人に吊し上げを喰いましたよ」
 当時、興味を引かれたのは落語だった。
「友人が付いてきてくれと言うので、一緒にラッケン(落語研究会)の部室に行ったら、ついでに名前書かされちゃって。そしたら友人はさっさと辞めて、僕の方が面白くなったんです」と振り返る。
 丁度家には父親が読んでいた『落語全集』が何冊もあった。 旧漢字旧仮名遣いの本だが、お金がなかったので読む物といったらそれくらいしかなかった。学生運動をやらないと仲間外れにされる雰囲気の中で、落語に打ち込むようになる。
 「初めて老人ホームに行った時、おじいさん、おばあさんが僕たちの下手くそな落語を喜んで笑ってくれた。生意気な言い方だけど、なおさら棒で叩き合ってるよりも世のため社会のためだと思いましたね」
 横田さんは法政二高の出身。「成績順で一番成績のいい人は工学部、次は法学部という順でした。数学が苦手だったので自然と法学部に入りました」。当時は付属校から来た生徒は頭が悪いと、どの先生からもばかにされた。持ち前の反発心から必死に勉強し、一年の時、十六科目中十四科目で「優」を取った。「それから一言もばかにされなくなったので、二年から(勉強は)やめちゃいました」と笑う。「優」は二年で二科目、三年でゼロになった。四年になると授業へも出なくなった。
 法大卒業後はユーモア、ナンセンスSFを数多く執筆。SFは父親の影響だった。生まれた時は昭和二十年という何もない時代。父親が海坊主の話や天狗の話をなどを自分で作って、毎晩寝る前にそれを聞かせてくれた。生まれて初めて観た映画も『月世界征服』というアメリカのSF映画だった。
 そして明治時代を舞台とした明治文化史を手がけるようになる。「ある大学の法学部に行って、尾崎咢堂(行雄)の話からしようとしたら、咢堂のことを知ってる学生は一人もいなかった。これでは話ができません」。それにしても明治時代の大学生というのは、今の大学生とは桁が違う。先の尾崎咢堂という人物は十一歳の時に教師になり、二十歳で新聞社の主筆になっていた。今の学生は新聞を読まなければ、本も読まない。「しかも新聞に書かれていることは何でも正しいと思ってますね」
 疑問を持たない人が多くなった。横田さんはとにかく疑問から入ることにしている。史実となっている日記でもまず疑う。その人が死ぬ間際になって書いたものだったら、世間体のこと、家のことを考えて嘘の日記を書くのは当然、という姿勢だ。
 「明治時代に関して言えば、江戸時代は合衆国。だからいろんな思想を持った人がいたけど、最終的にはやっぱり自分の国を守ろうというのがあって、極左の人と極右の人が親しい。国を良くしようということでは全く一致してました。そして相手の話を聞いてましたね」 今はどんな論争にしても相手の話を聞かないから対話にならない。『朝まで生テレビ』にしてもそうだ。ところが昔の人は対話した。大喧嘩をしても討論が終われば、一緒に酒を飲みに行く。右派左派の区別なく、片方が貧乏になれば黙って金を相手の家のポストに入れてくる。今度はその男が返す。そういう時代だったという。
 「最近、司馬史観を教科書に載せよという人がいます。司馬遼太郎の本に書いているから(正しい)などという馬鹿げた学者さんまでいる。話になりません」と横田さんは語気を強める。 「同じ事でも正反対のことを書いているのがある。僕は最低三つ裏を取ることにしている。それでこれは正しいだろうと。でも国に残っている公文書が偽造されているのだから本当の歴史は見えないですよ」  
 たとえば明治四十四年六月十七日の夕方六時頃の描写を書くためだけに、その日の六時頃に月が昇っているのかどうか気象庁に問い合わせて調べた。そうすると月の出は九時十何分ということがわかった。読者が気が付かないような些細なところも決しておろそかにしない。 「野球のことを調べようと思ったら、野球のことだけ読んでも絶対だめ。違う物も読まなきゃ」。資料本も版違いが出たり別版があったら買う。写真が一枚違っても買うようにしている。だから同じ本が五冊も六冊もある。そうして集めた資料は約二万冊にも及んだ。古書にもかなり明るくなり、『古書狩り』(ジャストシステム)などを著している。
 そこまでして調べたことも、あっさりと他人に盗まれてしまう。盗まれるのはいいが、自分で調べた振りをされるのがたまらない。人気のある歴史番組や有名人の一生をたどる番組にも黙って盗まれたことがあった。たまたま誤植の本を出したら、その誤植のまま盗まれたこともある。 「なぜ専門家でもわからなかったことが発見できるかというと、専門家はその専門のことだけにしか目が向かないからです。でも新事実を専門家に教えても見なかった振りや耳を貸さないことも多いです。門外漢に見つけられたのは恥だと思うんでしょうね」  出る杭は打たれるというが、そういう専門家が見逃していたことなどをあれこれ見つけたりすると、あることないこと悪口を言われたりもする。「日付が一日違うとかね。そういう時はすぐ訂正しますけれど。そんなことは、本当はどうでもいいですが、何かクレームを付けたくなるんでしょうね」。
 原稿料や印税より資料代の方がはるかに高くかかる場合もある。「いったい、こんなことを借金までして資料を買って、苦労して調べて何になるんだと思うこともあります」 明治研究も疲れてきたので、また別のことをやろうかとも考えている。「ただ、読者が僕の書いたことを全面的に信用してしまう間は、だめですね。僕の書いたことは、あくまでも一意見として参考にしてもらいたいんです。読み手が疑問を持たなすぎだと思いますよ。疑問は持って、これは違うのではないかと、論理的な指摘をしてこられる時が、一番うれしいですね」

 

 


  横田順彌(よこた・じゅんや)    SF・冒険小説家・日本古典SF研究家。一九四五年、佐賀県生まれ。法政大学法学部卒業。デビュー初期はユーモア、ナンセンスSFを執筆。現在は主として明治時代を舞台としたSF、冒険小説を手がける。明治文化・風俗史・古書関係のエッセイも多い。著書に『探書記』(本の雑誌社)、『明治不可思議堂』(筑摩書房)、『冒険秘録 菊花大作戦』、『明治はいから文明史』(講談社)など他多数。  

   

 

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