青島健太氏インタビュー


 

 毎年、春と秋に神宮球場を舞台に法大、慶大、早大、明大、立大、東大の総当りで行われる六大学野球。この舞台で活躍した大勢の人達が現在、日本野球界に様々な形で貢献している。そこで法政大学新聞学会では、六大学野球で五十年代の法大黄金期に、慶大の主砲として法大に一矢を報い続けた青島健太さんにスポットを当ててみた。現在、ライター、TVキャスターとして活躍中の青島さん。野球にとどまらず、スポーツ全般に渡り情熱的、且つ、客観的な眼を常に光らせ、ブラウン管を通しての青島節の前に視聴者は皆、釘付けにされてしまう。そんなスポーツマスコミ界の一線に立つ青島さんの魅力を探るべく、六大学野球の魅力を含め、お話を伺ってみた。

―野球を始めたきっかけはなんですか

 小学四年生の時に草加市の少年野球チームに入ったのがきっかけですね。僕が幼少の時は巨人の王さん、長嶋さん達に憧れたり、マンガの「巨人の星」を読んだりして、周りの子供達はみんな野球をやってましたね。

―高校で春日部高校に進学された理由は何ですか

 中学が野球部が盛んで強い学校だったので、本当は甲子園の常連校と言われる高校に行きたかった。だけど、当時、僕の家庭環境が経済面を含めてあまり良くなくて、高校進学時は僕自身、不安定な時期だったんです。実際、特待生で野球の強い高校に行ける話があったんですけど、そういった形で行けたとしても、やはり野球をするとなればお金はかかりますし、あと母親がどちらかというと野球で自分の将来をつくるという考え方にあまりいい感じを持ってなかった。ちゃんと勉強していい大学に入ってほしいと思っていたと思います。だから高校選択に関しては、かなり葛藤はありましたね。

―高校時代の青島さんから六大学野球というのはどういった存在でしたか

 やはり、憧れの舞台でしたね。輝かしい伝統がありますし、それぞれの大学にカラーありますよね。スポーツっていうのは「場」が大事だと思うんですよ。オリンピックというのは世界中からレベルの高い選手達が集まり、世界中から注目を浴びる「場」じゃないですか。選手達のモチベーションも上がり、レベルの高いパフォーマンスが引き出されるわけですよ。だから、六大学野球という「場」、神宮球場という「場」、に大きな魅力を感じてましたね。

―大学は慶応へ進学しましたが、法政へ進学することは考えませんでしたか

 具体的には考えなかったですね。とりあえず、大学進学時に六大学に行こうと決めてたんですけど、ぼくの中で法政は選択肢からなくしましたね。なぜかというと、当時の法政はものすごくレベルが高かった。僕が慶応でプレーした当時、法政からは十一人、プロに進んでますからね。甲子園で活躍したトップレベルの選手達が法政には集まっていた。これでは、甲子園に一度も出たことがない埼玉の県立高校出身の僕が行ってもレギュラーになれないだろうな、と。慶応に決めた大きな理由に高三時の担任の先生が慶応卒の人で、進路相談の際に慶応の魅力についてたくさん話が聞けたというのがありますね。もし、その担任の先生が法政卒の人だったら法政に行ったかもしれませんね。あと、慶応の野球部は坊主にしなくてもよかったというのがありますね。

―大学卒業後、東芝へ進まれましたがプロではなく社会人野球を選択した理由は何ですか

 僕にとってプロに行くことは夢であり、目標でしたが、自分のレベル的にまだプロでやるには難しいかなと思い社会人チームに進みました。東芝は六大学野球でいうとまさに法大。要するにエリート集団。だから、常にプロのスカウトから注目されているチームだし、いずれプロに進みたいと考えていた僕にとってはいいチームでしたね。

―そして二十七歳の時に ヤクルトスワローズに入団されましたが、どういった思いでプロに進まれましたか

 プロに行くに当たって、会社の人達や周りの人達からは反対されましたね。やはり、年齢的に厳しいものがありましたし。だけど、今までプロを見据えてやってきたわけですし、夢に賭けてみたかった。五年間の現役生活でしたが、自分にとってすごく貴重な五年間でしたね。 ―現在、ライターとしても活躍されていますが、ライターとして大切なことは何だと思いますか 「気付き」というのが大切だと思いますね。野球の記事を書くにしても、プレーの中で何かに気付かない限り、何も始まらないわけですし、何かに気付いて初めて、何かが始まるわけですよ。「気付き」というのが大切であり、基本だと思いますね。

―春から大学生となった新入生にメッセージをお願いします

 今の自分があるのも、野球というものに出会えたからであり、大学生活においても野球という一つのものに打ち込めたわけです。だから、大学生活を送るにあたって、興味の対象というものはたくさん出てくると思いますが、何でもいいから一つでも自分が夢中になれるものを見つけてほしい。常に本気モードの自分がいる大学生活を送ってほしいですね。

  お会いして さわやか、という言葉がこれほどぴったりと当てはまる人はいないだろうというほど清々しい青島さん。知的でスポーツ万能、知力と体力をバランスよく備え、誰もが引き寄せられるその存在感。お話されている時のキラキラした眼と時々見せた笑顔がとても印象的でした。

プロフィール

青島健太 1958年4月7日、新潟県生まれ。埼玉県草加市に育ち十歳から野球を始める。春日部高校で関東ベスト4。慶大に進学し、野球部主将として1シーズン6本塁打22打点の新記録を樹立した。東芝を経て、84年ヤクルトに入団。翌年デビュー戦では史上20人目の初打席満塁本塁打を記録。89年引退後は、日本語教師としてオーストラリアに赴任。帰国後はスポーツライターとして活動を始め、現在はTVキャスターとしても活躍中。

〈取材〉    池田陽平  〈写真〉    宮田清彦

 

 


   

 

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