徳本 一善
  (陸上部)           


 「走ることが自分の一番の能力です。この力を伸ばしていこうと思いました」。どこか人とは違ったオーラをその時私は感じた。

 普段の生活は他の学生とあまり変わらない。違うといえば、ランナーとしての自覚。暴飲暴食や夜更かしはしない。寮の門限のため、外出も月一、二回程度。一年の時は寮の規則として、食事当番にもなった。「まずいぞと何度いわれたことか」

 大学に入ったのも自分の走力を伸ばしていきたかったためだ。大学はただの通過点としてとらえ、自分の「足」で生きていくつもりだった。別に、箱根のために走っているわけではなく、インカレや他の大学のように自分の走りの通過点に過ぎなかった。だが、今年の箱根駅伝はただの通過点とは行かなかったようだ。

  「監督からは五キロまでは様子を見ていけといわれたのですが、スターとラインに立ったら体がうずうずしてきて回りを見たらいけるかなと思ったのでつい」。まさに性格そのままのコメント。

 開始直後に飛び出してた勢いは最後まで衰えることはなかった。途中、給水のために胃が痙攣を起こし、最後の三キロをカバーできなかったことを除いては、一度も振り返ることもなく、独壇場のレースとなった。だが、自分の走りに満点をつけることはできない。

  「自分の設定タイムより三十秒ほど遅れてしまいました。今回の走りは自分のいつもどおりの走り。力以上の走りを出さないと納得いかない。まぁ、サングラスと茶髪で走った自分を見て、観客は楽しめたと思いますけど」

 一月三日の昼過ぎの大手町。最後のランナー久村選手のゴールを、徳本選手は塚田選手とともに待っていた。総合九位の山梨学院大学とは二十九秒差。シード権を失った瞬間に立ち会うことになってしまった。

  「二十九秒差といったら、少しの差なんです。そう、ほんの少しの差。もし、自分の設定タイムで走ってたらと思うと悔しくてたまりません。自分の三十秒があれば」。語気を強める言葉からは、一人のランナーとしての「悔い」と駅伝ランナーとしての「責任」を感じさせた。

  今年でもう三年生。大学生活の折返しの節目を前にして、徳本選手は今までの寮生活から一人暮しへと切りかわった。「引っ越すなといわれたのですがどうしてもしてみたかったんです。一人で何もかもしてみたくて。もちろん、普段通り練習に参加しますよ」

 区間賞を取りながらもチームはシードを逃した。「かわらなきゃいけないと思うんです。自分自身もチームも。これでかわらなきゃだめですよね」。一回りも二回りも大きく見えた徳本選手に私は一ファンとして見舞っていきたい。

 


 


 

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