十二月二日、市ヶ谷キャンパスにおいて新聞学会主催の講演会が開催された。世界唯一の国連ボランティア名誉大使である中田武仁氏を講師に迎え、「今、何故ボランティアか」と題して講演が行われた。講演会では、中田氏がボランティアを始めるきっかけとなった息子・厚仁氏についての話や、中田氏の考えるボランティアの心についてなどの話が展開された。            以下講演会の概略

息子 厚仁について

 私の息子、厚仁は、一九九三年四月八日、カンボジアの地で何者かに命を奪われ、二十五年の短い一生を終えました。国連カンボジア暫定統治機構(UNTAC)の国連ボランティアとして活動していたときのことです。厚仁がボランティアを始めるきっかけとなったことに、二つの出来事があります。

 一つは、ポーランドでの経験です。私の仕事の関係で、厚仁は子供時代をポーランドで過ごしました。一九七七年、厚仁が小学四年生のとき、家族で旅行をする機会がありました。初めに訪れたのは、アウシュヴィッツでした。ここでは第二次世界大戦中、口に出すのもおぞましいことが行われていました。そこで私たちが見たものは、人間が知恵をしぼって考え、人間性にもとることをしたとき、一体どんなに恐ろしいことができるか、その極限でした。厚仁は黙って、これらのものを見ていました。子供なりに衝撃を受け、一生懸命考えたのでしょう。その後厚仁は「どうしたら戦争が避けられるの? もし国境がなくなれば戦争はなくなるの?」と問いかけるようになりました。戦争をなくすためには、世界にどんな組織があり、自分には何ができるのかを調べたのでしょうか。六年生のときの寄せ書きには「将来の夢」という題で「国連で仕事がしたい。できれば大使になりたい」と書いていました。

 厚仁がボランティアをするきっかけとなったことの二つ目は、留学先の教授に言われた言葉です。厚仁は大学三年のときにロータリー財団の奨学生としてアメリカに留学しました。そこで厚仁はこう言われたそうです。「あなたは何かを求めてやって来たのかもしれない。それは当然のことでしょう。しかし、それと同じようにこの大学もあなたに何かを求めているのです。あなたは必要とされている人間なのです。そのことを忘れないでください」と。私たちは厚仁が亡くなったとき、「求められている人」が「何をなすべきか」と考えたときにどういう行動をとるのかを改めて知りました。

ボランティアを支える心

◆自主性

私は、ボランティアを支える三つの心があると思っています。一つ目は「自主性」です。ボランティアは、自分で判断して行うという自由意思による行動です。皆がするからする、しないからしない、という社会では、ボランティアの概念は生まれません。こんな相談を受けることがよくあります。「私にできることがあったら何でも言ってください。何でもしますから」というものです。そう言われても私にはその人が何をできるのかわかりません。「では、○○をしていただけますか」と言うと「いや、それはとても私の手には負えることではありません」とおっしゃる。これはつまり、何もしないということです。

 また最近、教育現場でのボランティア活動の義務化という動きが問題になっています。強制されてするのはボランティアではないのではないか。そう思われる方も多いでしょう。そう、これはボランティアではありません。本来は奉仕活動というべきものです。この「奉仕活動」と「ボランティア」はイコールではありません。「ボランティア」という言葉がカタカナのままで書かれているのを見てわかるように、日本語には「ボランティア」とイコールになる言葉はありません。ボランティアは自主的な行動なので、「ボランティア活動の義務化」という日本語自体がおかしいのです。

◆非報酬性

 二つ目は「非報酬性」です。損得という考えが私たちの人生観のすべてを占めてしまった場合、恐ろしいことになってしまうでしょう。人々がみな、自分の利益だけを優先して行動したら、どんなことが起こるでしょうか。

 「非報酬性」に基づいた行動をした人の話をしましょう。タイタニック号での出来事です。ついに沈没するというそのとき、赤ん坊を抱いた一人の女性が、最後の救命ボートに乗り込もうとしました。しかしボートは満席。母親は「せめてこの子だけでも」と、ボートの中の一人の女性に赤ん坊を託そうとします。ところがその女性は「この子にはあなたが必要です」と、自分はボートから降りて代わりに母親と赤ん坊を乗せたのです。この女性の行動は、「非報酬性」の心を持ったものではないでしょうか。

◆福祉の心

 三つ目は「福祉の心」です。他人の痛みを自分のものと感じ、十分力を出せない人たちと社会の力で、生きる喜びをともに分かち合っていく心です。

 高校生のころに読んだ『徒然草』の中に「友とするのにわろき者」という段があります。それには、「病なく身強き人」とありました。「病なく身強き人」は人の痛みがわからない人なのです。そのような人は友としてはいけない。そういうことなのではないかと思います。

 ボランティアを支えるこの三つの心は、今の社会に一番希薄なものになっているように思います。これをもう一度、見つめなおす必要があるのではないでしょうか。

 講演を終えるにあたって、みなさんにお願いしたいことが一つだけあります。みなさんは必ず誰かから「必要とされている人」だということを忘れないでください。あなたは必要とされている人なのです。

講演をお聞きして

 九十分という短い時間ではあったが、ボランティアについて考えるよい機会となった。特にボランティアの心についてのお話は、来場者が自分自身の考えを見直すきっかけになったようだ。中田氏のお話にもあったように、ボランティアは自分のできる事を考え、それを実行に移すことから始まるのである。「あなたは必要とされている人なのです」という一言がとても印象的だった。

 



 

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