大学生が海外旅行に行くのはそう珍しいことではない。私も今夏ベトナムに行った。旅行の楽しみは様々で食事、ショッピング。観光、そして人とのふれあい。しかし,旅先の出会いが全てすばらしいものとは限らない。時には下心を持った人も近づいてくるのだ。

 普段のベトナム人は陽気でステキな人人である。目と目が会うとにこっと笑ってみせる。南部のほうではそんな習慣が残っているようだった。道端を歩いている小学生から、自転車を2人乗りで疾走する男子高校生、アオザイ姿のお姉さん、昼間からビールジョッキを傾けるおじさんまで さわやかに笑ってみせる。

 ところで、 ベトナムも貧富の差が発生してきている。もちろん、皆必死に追いつこうとはしているのだろう。波に乗れたものは大金持ちに、そうでないものはいつまでたっても貧乏暮らし。ブランド品に手を伸ばす大学生がいる一方、「明日は肉が食えない」と嘆く屋台で働く兄ちゃんがいる。

 だから、旅行者は人を信用してはならない。お金のない人が手っ取り早くお金を手に入れる方法。それは旅行者から取ることなのだ。例えば、前述した屋台の兄ちゃんの月収は低いほうであろうが約20ドル(2200円)である。ちなみに私が旅行に持っていった額は約500ドル。なるほど、私の身包みをはいでみれば、20ヶ月分以上の生活費にはなるわけだ。実際に盗まないとしても、市場で、屋台で、宿で、タクシーで、みんな より高い金額を払わせようとふっかけてくる。 旅行者というのはそもそも金づるでしかない。少なくとも、海外旅行ガイドブック「地球の歩き方」には、事細かに読者から送られてきた被害報告が載せられている。日本人はこんなにも狙われていると。

 だから、私も警戒していた。どんな上手に人懐っこい笑みを浮かべようと彼らが考えているのは私の持っているお金のことなのだ。

 あの日、私は日本に手紙を出そうと郵便局にいた。同行していたのは日本から共にやってきたBである。 そこで私達はベトナム人に会う。27歳の大学生、ラムさんである。私があったベトナム人の大学生は高校を卒業した後 兵役についたり、仕事に就いたりしてから 大学に入る人が少なくなかった。ラムさんの場合は 兵役を2年とシクロと呼ばれる自転車の前に座席をつけたタクシー運転手のような仕事をしていたそうである。日本人の友達もたくさんいる。「ところで,どこの宿に泊まっているのですか」とラムさんに聞かれたところ「忘れちゃたよー」とB。私は宿で案内のためのカードをもらっていたのでラムさんに手渡した。彼はしげしげとしばらく見ていた。

 日本人と写っている写真を見せてくれた。彼自身も日本語の教科書を持ち歩き、なかなか達者な日本語を話す。 日本人からの手紙も持っていた。差出人は「さちこ」とあり、書き出しは「My dear friend Lam」とあった。他の日本人女性からの似たような手紙も持っている。私の受けた印象ではベトナム人の男性はおおむね男女交際に積極的であるようだ。

 話も一段落したところでラムは「私おじの家でコーヒーでも飲まないか」と私たちを誘った。Aは警戒していたようであるが、私は二つ返事でOKしていた。 ラムの後ろにくっついて通りを歩いているうちに、私も次第に不安になってきた。

 その日、私は アイスクリーム屋にぼられたばかりであった。ベトナム第一の都市、ホーチミンどの通りにも人は溢れかえり日本では考えられないような交通量である。私は次の交差点を渡り、郵便局に行こうといそいでいた。いつのまにか急ぎ足で歩く私たちの隣を台車のような車を押したオヤジが並んで歩いていた。その気のいい顔をしたオヤジは 日に焼けた顔に笑顔を浮かべながら「友達、友達」と、私にアイスクリームのカップを手渡してくる。もちろん、そんな言葉が信用できるはずもなかったのだが「 ただなのか。」と、聞いてみるとオヤジは笑ってうなずいて見せるのである。私は少し安心して そのほのかにココナッツの香りがするアイスクリームを口に運んだ。そういえば、少し喉が乾いていなくもない。ジュースでもこのオヤジから買ってやろうか。そんな考えさえ頭をよぎった。しかし、台車を見てみてもジュ−スらしきものは見つからない。オヤジと目が会う。オヤジは充血した目で微笑んでみせる。私は、だんだんその笑みが不自然に見えてきた。案の定、そのまま原付バイクがひしめく交差点を渡ろうとしたときにはオヤジの態度は豹変していた。「5000ドン払え!」(45円くらい)私は騙されていたのである。Aは冷静に値切っていた「2000ドンだ。」オヤジは簡単に折れた。「あんな奴を信用できるはずがない」後でBは言っていた。

 彼は本当に信用できる人間なのか。もしかしたら、睡眠薬を入れた飲み物を飲ませられるかもしれない。もしかしたら、突然案内料を要求してくるかもしれない。考えてみれば日本人からの手紙や写真をみせるのは日本人を信用させるよくある方法であるとガイドブックにも書いてあった。

 彼の家についた。何かの店を経営しているようだった。ペプシコーラやファンタの瓶を入れた冷蔵庫が置いてあった。「何か飲むか。」と私たちににこやかに問いかけてくる。ビーチで使うようなデッキチェアが置かれている。私たちは奥へと消えていったラムをしばらく待っていた。Bは私が軽率にラムさんについて行こうとしたのを責めた。そして,、簡単に宿の場所を教えたことも責めたてた。「日本でも知らない人に住所を教えないだろ。」知らない人について行くのは確かに危険である。

 ラムさんが戻ってくると 私たちは家を出た。彼が連れて言ってくれた先は彼の学校である。ホーチミンに唯一の大学。名前は学校が一つしかないため特にはないらしく学部の名前でそれぞれの校舎を読んでいるそうである。

 ラムさんが通う経済学の校舎は人でごった返していた。それもそのはず今日は入学試験の日であるそうだ。そう言われてみると皆厳しい顔付きをしている。 その後、彼のバイト先に言った。彼は「センター」と呼んでいたが、言ってみれば塾である。「私は数学を教えています。前は英語も少し教えていました」ただ白塗りの奇麗な建物で一般の人が通う野かどうか少し疑問を感じた。授業料も高い。ただ、語学の学習熱は資本主義を取り入れてから高まっている様で、日本語も英語について勉強している人が多い言語であるそうだ。確かに日本語を話せる人も少なくない。

 「宿に帰る」と話すと彼は送ってくれると言ってきた。しかも、彼の運転するシクロでだ。シクロと言えば、我々旅行者にとってはボッタクリの代名詞であるといってもいい。私達はやや不安を感じたが 彼にお金を取る気のかと聞くこともできず、彼の笑顔を信じるしかなかった。

 シクロに乗っている私の不安はかなり高まっていたのだろう。宿の近くまで来ると「ここでいい」とシクロを止めてもらった。「明日一緒にご飯でも食べませんか」と聞いてくれる彼の前で私達があまり積極的な反応をしないのを見てとると彼は「忙しいんならいいんですよ」と言った。そして、一人でシクロに乗って去って行った。私は最後までシクロの金を払わなくていいのかと聞こうかどうか迷っていたが結局聞くことはできなかった。彼は単純なやさしさで私たちを案内してくれたのである。人間というのは信用できない。まして異国の地ではなおさらである。しかし、たいした欲もない善意に触れる時、私はここに来てよかったと感じることができた。

 


 

 


 

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