「大学時代ですか? あまり真面目ではなかったですね。授業等もさぼったりしていましたし。ただ、ゼミだけはおもしろくてしっかりと勉強していました」。よく聞く話だ。上川氏はいわゆる「普通の」学生だった。ただ一点、性同一性障害であることを除いては。

 性同一性障害。生物学的な性と自分が認識している性が異なるため、何らかの障害を感じている状態を指す。

 上川氏が初めて違和感に気づいたのは中学生の頃だった。声が低くなる、筋肉がついてくるといった男性的な変化が嫌でしょうがなかった。「初恋の人も男性でした。でも同性愛者のそれとも違う。多くの同性愛者は自分が男性であることに疑いを持っていませんから」

 そして十七歳の時に、初めて母に自分の性の在り方を告白する。「きっかけは失恋でした。母は不思議と驚かなかったですね。それまでに何度も母に『何で生まれてきたんだろう』といった愚痴は漏らしていましたが、決して悩みの核心は話していませんでした。それをずっと疑問に思っていたのでしょう」。しかし当時の上川氏に「体の性」と「こころの性」を分けるという概念はなく、性同一性障害という言葉も知らなかったという。

 その後大学を卒業し、男性として仕事に就く。「サラリーマンとして、自分の内面を隠しながら、 がむしゃらに仕事をこなしてきました」。が、その過程で体を壊してしまう。「そのくらいの時期ですね、自分の内面を偽ることに限界を感じ始めたのは。このままでは自分が駄目になってしまうと」

 そんなときに、ある雑誌で自分と同じ悩みを持つ人たちの勉強会の存在を知る。「初めて自分と共感できる仲間に出会えました。このときからですね、女性として生きていこうと決心したのは」。しかし、それには並々ならぬ苦労が伴った。「現在の日本では、たいていの公式書類に男・女の性別欄があります。例えば風邪をひいて医者にかかろうとしますよね。しかし、保険証には性別欄があります。そうすると病院の窓口でもめる訳です。私はできるだけ静かに、女性として生きたかったので、そういったことがすごく嫌でした。だから私は家の近くの病院にかかったことは一度もありません」。また、「私は今年の東京都知事選挙で初めて女性の姿で投票に行ったんです。投票用紙にも性別欄がありましたから。人間は誰でも社会的な存在であって、その中でしか生きることができませんが、私はその中にあって非常に弱い立場にあったと思います」。選挙に行って投票するという国民に与えられているはずの権利ですら、満足に行使できない歯痒さ。「私の社会参加を拒んでいたのはたった漢字一文字です。『男』か『女』か。ただそれだけでした。現在の日本で公的に通用する身分証明書の中で、男女の区別がないものは自動車の運転免許証だけなんですよ。私はそれを持っていないので、身分証明すらできないんです」

 こうした中、上川氏は今の自分の現状を少しでもわかってほしい、改善してほしいと思い始め、主に国会議員に対して話をして回った。「話をちゃんと聞いてくれた人がいる一方で、お会いいただけないときも多かった」。上川氏はこの時期から個人の力では限界があると感じ始める。「色々回っているうちに何人か懇意にして下さる方々もいらっしゃって。その方々とお話させていただいているうちに、『政治』の場でしかできないことがあると思うようになってきたのです。例えば、戸籍の変更の問題などは法律そのものに手をつけなければいけません。そしてそういった問題を解決するには、政治の場に当事者の直接の声が反映されることが重要だと考えたのです」

 しかし、当然不安もあった。今までそういったことに携わったことがないうえに、素顔をさらすことの不安。「それまではマスコミ等での取材もすべて顔は隠して音声も変えてもらっていましたから。どうするか非常に迷いました」。そんな上川氏の背中を押したのは、家族や周りの理解者だった。「皆さん『本当にやる気なら応援するよ』と言ってくださって。誰かがやらなければ私たちの置かれている状況は変わらない。とても勇気のいることでしたが、頑張ってみようと思って区議への立候補を決意しました」

 「私の区議としてのテーマはいかに社会的マイノリティや弱者の声を政治や社会に反映させるかということです。それは性同一性障害の方に限らずです」。そして先日の世田谷区議選挙で見事当選。現在は区議として多忙な生活を送る。性にかかわる問題はもちろん、教育問題などにも熱心に取り組む。「現在、不登校などの問題が大きくクローズアップされていますが、ほとんどの場合いかにして公教育の場に戻すかといった点に主眼が置かれています」。しかし必ずしもそうである必要はない、と上川氏は語る。「無理やり戻す方向だけでは、より事態が悪化することもあると思います。子供達の個性や意志の尊重を最優先に考えるべきでしょう」

 「もちろん差別や偏見をなくすためには、そういった行為を受けている方々自身が立ち上がってアクションを起こすことも重要です。ただし、私がそうであったように、それには限界があります。ですから私が『政治家』という立場を利用して、そういった声を届けていければ、と考えています」

 性とは何か?という、大多数の人が考えたことすらない問題に苦しみ、そしてそれに真正面からぶつかってきた上川氏。「まだまだ不十分なところも多いとはいえ、ここ数年で事態は急速に改善されてきました。これからも本当の意味で多様性が認められる社会になるよう頑張っていきます」。この言葉の意味をよく考え、意識を変えていかなければならないのは、普段『大多数』として暮らしている私たちであろう。   

(取材・文 沼田康彦)

 

 


プロフィール 上川あや 1968年生まれ。本学経営学部卒業後、都内公益法人に就職。1995年に退職した後、1998年に精神科医より「性同一性障害である」との診断を受ける。2001年1月よりTN(性同一性障害をもつ人達の自助グループ)のメンバーを務めた後、2003年4月より世田谷区議会議員となる。  

 



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