朴慶南(パク・キョンナム)さんは在日韓国人の二世。昭和二十五年、封建的な父親っと優しい母親との間に生まれる。
 高校までは日本名を使っていたが、大学進学と同時に朴慶南という本名を使うようになった。昭和四十四年、ちょうど学生運動の盛んな頃だ。「私は私なりに自分の置かれている立場というか、自分の国(韓国)の歴史や言葉を勉強したり、自分の国のことをいろいろと見ながらどうすればいいかみたいなものをサークルなどでやっていました。日本人は学生運動を、私は祖国のことなどに命がけでした」と振り返る。
 卒業後は韓国人の夫と見合いで結ばれる。しかし、「理の人」だった夫は、日本名を使うようにと促す会社を辞め、在日(韓国人)は本来の故国に帰るべきと単身韓国へ渡ってしまう。やむを得ず、家計を担っていかなければならなくなり、仕事を探すことになった。今から十年前、長男が小学四年の時だ。 「歳も三十半ば過ぎていて子供はいたし、キャリアや資格はないしで。いろんな悪条件の中で仕事口はありませんでした」
 そんな時助けてくれたのが友達だった。マスコミ関係の友人は写真のキャプションなどを入れる仕事を、また別の友人は、「豊かさとは」をレポートするという大きな仕事を持ってきてくれた。これが書く仕事に就くきっかけとなる。自分で自分の運命を切り開いていこうとしている時期であった。
 「人がやってることは自分のできると言い聞かせて、それでなんとか努力しました。書く仕事をはじめながら、一番やりた仕事は何かということで思い出したのが、 アナウンサーになりたいという夢だったんです」  それで思い切ってアナウンサー学校に通う。そこでもチャンスはまた訪れた。講師が偶然、職業欄に「ライター」と書かれたキョンナムさんのプロフィールを見て、 「新しいラジオ番組で構成作家を探しているんだが、できますか」と声をかけてきたのだ。もちろん、構成作家をした経験もなければ、ライターとしてもまだ駆け出しである。  「ふつうは、できないって言うと思うんです。やったことないんだから。ソウルオリンピックの年、ディレクターから公開生番組で韓国語講座をやりたいと言われた時もそうでした。当然、名前が朴慶南だからできると思うかも知れませんけど、実はできなかったんですよ」。だが、そこは前向きな気持ちを忘れないキョンナムさん。何でも一生懸命やってみなければわからないという姿勢で、構成作家も韓国語講座も見事にやりこなしてしまう。
 そんな彼女が番組のパーソナリティの目に留まるまで、さほど時間はかからなかった。「好きな曲をかけて、ちょっとしゃべってくれればいいので」と新コーナーを任される。そこで真っ先に選んだ曲が『クミヨ(夢よ)』という韓国の歌だった。
 「ある時、日本人の親友に、近いのにどうして隣の韓国には行かないのって訪ねられたんです。そしたら『キョンナムが自分のお母さんとお父さんの国に行けないでいるのに、どうして私が先に行けるの』って言われたんです」
 在日韓国人のキョンナムさんは、長い間パスポートを取得できず、韓国に行きたくても行けないでいた。その後、その日本人の親友は乳ガンに冒されてしまう。「元気なうちに行こう」と互いに誓い、励まし合った。
 あきらめかけていた十年前の秋、ようやくその親友と念願の韓国の地を踏むことが実現する。慶州に向かう特急セマウル号の車窓を眺めながら聴いた曲、それがこの 『クミヨ』だったのだ。  「その曲をかけたら、あの時の景色を思い出して、番組中泣いてしまってろくにしゃべれませんでした」 放送終了後、「涙の放送」として反響を呼ぶ。『キョンナムさんと語る』という番組ができたのはそれからまもなくだ。
 「自分の話とか、社会、歴史の話をしたら、若い人からいろんな反響があったんです。国と国ではんく、人と人がまず出会って、そこから分かり合い、お互いを理解していくことが大事だと思いました」  番組のリスナーにしてみれば、キョンナムさんと出会っているので、たとえばキョンナムさんの国・韓国で何かあっても、そこに関心が向いたり、親しみを持つことができる。  「出会いは私にとっては宝物。そのあともいろんな出会いがあって、その話を伝えたということで本を書くようになったんです。『どうしてそんな良い出会いがたくさんあるんですか』と聞かれるんですけど、多分それは、私が自分を隠したり、ガードしたりしないからだと思います」  緊張したり、自分を出さずに相手に接していると、それが相手に伝わってしまう。まさに「以心伝心」、人と人の出会いは一方通行ではないのだ。常に自分は自分なのだと自然体で接していけば、相手の警戒心も解けていく。そうキョンナムさんは強調する。「そうすれば相手も自分を出してくれて、気持ちが通い合って、良い話ができたり、良い関係をつくっていけます」  自分で自分を出すというのは、どこかで自分を認めてしまうこと。自分を大事にできたら、人も大事にできる。出来の悪い自分も抱えて、それも自分なのだと認める努力が大切だ。「私以上じゃないし、私以下じゃない。私自身なんですから」 力を入れて相手を言い負かしたところで、相手の心には何も届いていない。その人の心が柔らかく開いていないからだ。分かり合うための対立ではなく、対立のための対立であっては意味がないのだ。  「なるべく良い出会いをして、自己実現したいと強く思っていれば、周りも輝かし ていく方向に持っていけるのではないかと。それぞれが良くなればいいなと思ってい ます」

 

 


 朴慶南(パク・キョンナム)    エッセイスト。1950年生まれ。立命館大学文学部卒業。著書に『クミヨ(ゆめよ!)』(未来社)、『ポッカリ付きが出ましたら』『私の好きな松本さん』(三五館)、『いつか会える』(毎日新聞社)、『命さえ忘れなきゃ』(岩波書店)、『なんとななるよ、大丈夫』(小学館)など。  

 



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