清家会長が法政大学高等商業部に入学したのは昭和十六年の三月、法政を選んだ契機は、紙商を営んでいた父の勧めだった。  「私の父が愛媛県吉田町出身で、同郷の薬師寺志功先生と大変親しい仲でね、その関係で法政に入れと言われ、当時の高等商業部に入学したのです」  午前中は授業に集中し、午後はひたすら剣道に打ち込む日々だった。当然、午後の授業には休みがちになったが、学校の名誉にかけて試合するのだという自負もあった。その甲斐もあり、インターハイでは優勝戦まで進む。そして在学中に武徳会四段を取得、いわば現在の剣道部の礎を築いた時代だった。「礼儀作法の厳しい部でね、先輩とはどこで会っても大きな声で挨拶をしないといけない。剣道というのは礼で始まり礼で終わるのが基本精神で、今にして思えば、それが非常に良い経験になったね」  軍事教練の一環として行われた大学対抗マラソン大会には剣道部を代表して出場した。「背中に二貫目(約七キログラム余り)の背嚢を背負い、銃剣を持って十人一組で走るんですよ。一人伸びちゃった人がいて、代わりに銃を分担して持ってあげてね。チーム一丸となって神宮外苑から井の頭公園までを往復走り通したよ」  太平洋戦争の戦禍激しさを増す頃、昭和十八年十月に繰り上げで卒業することになった。

 「本当は次の年の三月に卒業するはずだったんだけど、戦争中のことでね。大学生は総て十月に繰り上げ卒業となり、短期間に厳しい教育を受けました」。今の学生のような自由奔放な生き方はできなかった。  卒業後は富士写真フィルム株式会社に入社。当時、富士市に印画紙を作る最新の製紙機械があり、その製紙技術を習得する狙いもあった。ところが、いつ戦死するかわからないのに地方に行く必要ないと言う先輩の計らいで銀座の東京営業所に勤めることになる。そこで軍事部海軍係を命じられた。担当は海軍技術研究所で、空中戦演習用カメラとフィルムや偵察用の航空フィルムの開発に力を入れた。  「追浜や横須賀、厚木航空隊にフィルムを補給に行くと、南方の土産のバナナをいっぱいもらってね」と目を細める。戦利品の中に『風と共に去りぬ』の天然色映画など海軍には貴重なフィルムがいろいろあった。

 富士フィルムには一年間勤務し、昭和十九年十月、前橋陸軍予備士官学校に入校、その後航空特攻隊に志願する。「だが順番が回ってくる前に終戦を迎えた。戦争は二度としてはいけません」と語気を強める。  終戦により、昭和二十年十月に千葉県柏の東部八三部隊より復員。現在、前橋陸軍予備士官学校をされている。  “平和紙業創業参画”  「その後、平和紙業の創業に当たり参画しました。戦後の統制経済下でしたが、商権復活をめざしての創業でした」  父親は社名に「平和」の文字を冠した。戦後間もない当時、時代を反映し流行した言葉でもある。昭和二十一年三月、ここに平和紙業株式会社が創業する。

 戦前紙は年一四五万トンがピークで、現在では、年三〇〇〇万トンと驚異的に成長し、米国に次ぐ第二位の生産大国となっている。また世界と競争する為に大型マシンが導入され、抄紙巾八メートル、毎分二千メートルの猛スピードで大量生産されている。  「近頃は、マスポロ・マスセールの時代ですが、私共の会社は、一般紙から特殊紙に至る一五〇〇アイテムの紙を一枚から何百トンでも取り扱う二極の特殊性を持つ紙商なのです」  紙に商品価値があれば一枚から売れる。いち早く取り組んだファンシーペーパーの開発が奏功した。デザインの分野でよく用いられる色や型の付いた特殊紙である。近年では、紙製品など多岐にわたり応用されている。紙の値段は不況になると下がる。他の追随を許さないようなオリジナル商品を売り出せば、景気の影響を受けずに済むと考え、独自の商品の創造、開発に努力した。今では見本帳に収録されている八五〇〇種類もの紙が総てストックされているという。

 近来自然環境の保全が大きな問題となっている。「COP3(京都会議)で二酸化炭素六パーセント削減が決まった。今は紙も自然環境保全がテーマなのです」  非木材紙、回収紙といったエコロジーペーパーに注目が集まっている。一トンの紙を作るためには百トンの水と二十数本の成木が必要と言われる。「ケナフという高さ四メートルにもなるアオイ科の一年草があって、これが二酸化炭素を三倍吸う。いい植物でね。それをパルプ化して紙を作る。またサトウキビの搾りカスを再活用したバガスの紙もある。しかも紙と同等以上の性質を持っているんですよ」

 “ISO14001を取得”  「自然環境保全紙は平和紙業が最も得意とする分野です」。紙資源の削減とともにエコロジーペーパーの普及、啓蒙が認められ、業界で初めてISO14001(国際標準化機構環境規格)の認証を取得した。また商社がそうした認証を受けること自体あまり例を見ないことであった。「我が社のエコロジーに関する努力は時代のフォローウィンドウに乗っています」  たとえば、ある大手化粧品会社からは牛乳パックを再利用した紙の製造を受注した。商品を包装する箱や紙であろうと、どれだけ環境に配慮してあるかどうかで、その企業のイメージも左右される時代になっている。こうした需要は年々高まる一方だ。

 “大学で学んだこと”  「大学で学んだ学問は百パーセント役に立つというわけではないが、幅広く学んだ関係で、物事を判断する力は大いに身に付き、役に立っている」  時代を見る目、あるいは選択する力を養ったと振り返る。「選択力」は社会に出て企業を導く立場になった時に真価が発揮される。平和紙業が時代のニーズに応じた新事業を展開してこれたのは、そうした選択力や創造力が確かなものであったという証左と言える。

 「今の学生は正しい礼儀作法を身に付けていない。社会に出てから教育をし直さねばならない。此れは学校での教育であり家庭のしつけのはずだ。現在平成維新と言われている。世界の中にある日本である以上、語学にしろパソコンにしろしっかり身に付けてほしいですね。また学校は夢とロマンが実現できるようなキャンパスでありたい。そうした学生の横のつながりが大切です。良い友達をたくさんつくって卒業して下さい。そして学生諸君にはもっともっと夢や目標をもってほしいですね」

 

 


清家豊雄(せいけ・とよお)  大正13年愛知県生まれ。昭和18年10月法政大学高等商学部卒業、同年富士写真フィルムに入社。昭和19年前橋陸軍士官予備学校入校、翌年卒業し、復員後は平和紙業株式会社創業に参画。昭和33年取締役。昭和57年8月より代表取締役社長を歴任。平成8年6月代表取締役会長に就任し現在に至る。他に東京都紙商組合理事。経団連各委員。法政財界人倶楽部常任理事。東京紙商法友会会長。法政大学倹友会顧問。前橋陸軍予備士官学校相馬原会会長。  

 



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