連日伝えられる凶悪な犯罪。殺人、性犯罪、ドラッグ……。ニュースでこれらを見てまず思うこと、それは被害者やその遺族へのいたわり、悔やみ、そして加害者への怒り。加害者はいつでも悪者、憎しみの対象なのである。しかし、加害者という人間も実は被害者なのではないだろうか。

 三年前あるカルト教団によって起きた無差別殺人事件。その加害者遺族である四人が彼らの命日に一年ぶりに再会する。そこでかつて彼らの仲間であった一人の元信者と偶然出会う。それをきっかけに加害者達との過去の記憶を振り返る。彼らは一体何を求めていたのか。

 人間には様々な欲求があって、それらを満たすために生きていると言ってもいいだろう。しかしそれら全てを満たすことは難しい。満たすためにどこかで何かを犠牲にしている。しかしそれでも自分の思い通りにいかなかったら、そのやりきれなさをぶつけるために罪を犯してしまうかもしれない。

 こんなにも犯罪の多い世の中になってしまった原因はきっと家族愛の欠落にあるだろう。一人暮らしの私は一人の生活を満喫していると思う反面、やはり家には家族が欲しいと思ったりする。それは特に何かに悩んでいたり、うまくいかなかったりするときで、そんなときは決まって受話器をとる。受話器の向こうの母親は私が言う大抵の事を肯定し、いたわってくれる。私を認めてくれている、それがわかっただけで私は安心する。その安心感がどうにもならないやりきれなさを解消する。人は家族という自分の居場所が必要だ。家族との間に距離を作ってはいけない。

 自分の居場所をなくしてしまった加害者達は、きっと教団に家族を求めていたのだろう。  教祖はどんなひとだったんですか?
 「お父さんみたいな人」 元信者は答える。

 こんなかわいそうな人達をもう作ってはいけない。家族をわざわざ探す必要はないのだ。  それぞれの加害者達と記憶を元に向き合った遺族達は、目に見えない何かを得る。それはとても人間らしい人への思いやりや、優しさである。人は家族に対してそれらを無償で与えたり、受けたりする。そんな当たり前のことに、この映画できっと気づくだろう。

 

  


 

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