「描きたいのは人間ドラマ」と監督のマギー(人気お笑いグループ ジョビジョバのメンバー)が映画の中でも語っているとおり、この映画の主軸は人間ドラマである。高層ビルのエレベーター2基が突然停止する。一方に偶然乗り合わせたのは、軽そうなピザ配達の若者・きれいだが地味なOL・キャップに皮ジャンでトンガったつもりの業界人・しがないサラリーマン・年齢不詳のおばさん・怪しげな中年男の、「いかにもその辺にいそう」な六人。そんな彼らのエレベーター停止一時間半後からの会話ドラマを描く。またもう一方のエレベーター内に閉じ込められたのは、お笑い集団ジョビジョバ。彼らは状況そっちのけにマギーが監督する映画の構想を練りはじめる。二基のエレベーターは相関しない。それぞれのドラマが最後まで続いていく。 中心となるドラマは、エレベーター事故で偶然居合わせた人々が交流を図ることにより、人間的に豊かになっていくというものだ。ストーリーに画期的なものはない。しかしマギーの手腕が発揮されている部分はそこではない。 この映画、主軸の人間ドラマとは別にコメディ要素も充分に「並列して」いる。それがもう一基に閉じ込められたジョビジョバの役割。マギーの監督する(であろう)映画の構想を練っていくのだが、その映画こそがこのショコキであり、彼らの会話から明らかになった構想を通して、観客はもう一方で繰り広げられる会話や行動の裏を探ることになる。ただし、単純にジョビジョバの構想する内容がそのまま、もう一つのエレベーター内のドラマに反映されるということではない。また、明らかに当てはまらないような構想が採用されていたりする。ジョビジョバによって語られる嘘の設定、その設定どおりに続いているかのような会話ドラマ、そしてまた何気ない会話に隠された真実。思い込まされた設定どおりの展開を裏切り、観客を煙に巻いていく。真面目に続いていく人間ドラマとその脇で繰り広げられるコメディ。お笑いマギーの真価はここにこそ現れている。 ところで、ここまでいってなんだが、映画としての完成度は低い。設定のリアリティーも薄く、少々疑問に思ってしまうことも多々ある。登場人物すべてにオチをつけてしまったことにも無理が感じられた。しかし全編通して密室内での会話で押し切るという爽やかさは「12人のやさしい日本人」を思い起こさせるほど。お笑い舞台を映画で見るとこうなるという、良い意味での見本となる作品だ。お笑い好きには一見の価値があるだろう。 渋谷シネアミューズ他にて    (木琴)

 

  


 

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