『今日から始まる』という映画がある。フランスの幼稚園が舞台。無邪気な子供たちが、たくさん登場する。子供はかわいい。これは万国共通である。しかし、明るいお話ではない。子供たちの無邪気さ、かわいらしさが、胸に突き刺さり、重い課題を突きつけるのである。 フランスというと、「ヨーロッパ」「パリ」「観光」といった華やかなイメージがある。しかし、『今日から始まる』のフランスは、「ボンジュール、マダム」とは程遠い、廃れた、貧しいフランスである。活気がなく、冷たい風が吹く。 一人熱いのが、幼稚園の園長。子供と一緒にはしゃぎ、親を叱咤し、行政の緩慢な協力態度には怒る。街を歩き回る。園長が行くところ、街の、そして子供たちを取り巻く環境が見えてくる。街の、親の貧困。親の無気力、暴力。子供は心に傷を負い、あふれんばかりの明るさは、影を潜める。悲惨なのである 私はフランス語がわからない。字幕を必死に追った。しかし、そんなことはどこかへ吹っ飛び、そこに日本を見ていた。失業・物質的、精神的貧しさ。子供たちの声にならない悲鳴。間違いなく、日本にもあり、これから深刻になるであろう問題である。特別ではない。他人事でもない 映画は何も解決することなく、終わる。救いは、園長をはじめとする熱心な大人の前で見せる、子供たちの明るさ、笑顔である。大人は熱を失ってはいけない。子供は、大人を見ている。大人も、子供から目を離してはいけない 『今日から始まる』のベルトラン・タヴェルニエ監督は「色」をうまく使う。時折見せる、街の風景は美しい。街と人が貧困にあえいでいようとも、自然は笑っている。いや、街と人が貧しいからこそ自然は笑うのである。奢れる者は自然を見ない。見たとしても、自然は笑っていないだろう。     映画を観た翌日、テロが起きた。大人は子供を不幸にする。これは運命なのか。フランス映画のくせに、官能はない。いかんのう。

 

  


 

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