「NOT FOUND」インターネット上でよく見かける言葉である。自分の求めている情報を検索サイトやリンク集を使って探し出し、ようやく見つけ出したアドレス。そのアドレスを打ち込みENTERキーを押したとたんその言葉は表示される。アドレスが間違っていたのか、もともとそのサイトはなかったのか・・・

 都合により二度の受験勉強をすることになったのだが、その勉強をしている間ただ大学に合格することだけを考えていた。そしていつからかそれを成し遂げることにより何もかもがうまく行くと考えるようになった。そして、大学に入学して半年が過ぎた今、それほどまでに追い求めていたものはいったいどれだけ手に入れることができただろうか?多少なりとも描いていた自分の夢は叶えることができているのだろうか?その夢に向かって道を歩んでいるのだろうか?

 どこか似ている。自分の夢に向かうために大学に行くというアドレスを捜し求め、苦労の末にENTERキーを押した。その結果が「NOT FOUND」。大学に行けば何かがあると思っていたがその求めていたものはなかった。ただそこにあったのは『自由』だけであった。いやそれこそが大学にあるものなのかもしれない。四年間という限られた時間ではあるが、保証された時間。大学生という何者にも束縛されない身分。そして、親元から離れることにより手に入れた孤独

 自由とうまく付き合うことがこんなにも困難なことかを知った。自分で何かしなければ何もできないが何かしようと思えば何でもできる。でも何をしたらいいのかがわからない。果てしない自由の中で彷徨ってしまう。そこには道しるべもいなければ、ナビゲーターもいない。結局そんな中で立ち止まってしまうこともある

 最近まで活動を休止していたYOSHIKIがこう言っていた。「え?道がなかったら?そしたら道を作ればいい。え?道に迷ったら?とことん迷えばいいじゃない。だって近道なんてないんだもん。そして迷った時間の中でまた何かを学ぶはずだし・・・」

 立ち止まっていては何も始まらない。確実に目的に向かっているかはわからない。その目的が本当に正しいのかもわからない。ただ、今何かをしていたい。

 

 


   

 


 

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