携帯電話の登場でコミュニケーションの型は変容していくと言われている。時間、場所を気にせずに常にコミュニケーションを取れる状態におかれた私たち。便利な新しいこの通信媒体を使用する中で、コミュニケーションを実際に行う私達はどう変容していくのだろうか▼四月に久しぶりに会った中学時代の美術教師がこんな話をしていた▼彼女はその時、停留所でバスを待っていた。長い待ち時間ではあったが、桜を見たり、空を見たり、夕食のおかずのことを考えたり、生徒のことを考えてみたりと彼女はそれを特に苦痛に感じるわけでもなかった▼そんな時、前に並ぶ女子高生の携帯の着信音が鳴った。それに呼応するかのように後ろのサラリーマンの携帯も鳴り出した。二人ともメールを打ち出し、挟まれた彼女はなんとなく居心地の悪いものを感じた▼「で、彼女のメールをちょっと覗かせてもらったんだけど、今、バス待ってるの、だって。何であんな意味のないことやり取りするんだろね」▼携帯を持ち、私達は常に他人と連絡を取ることが可能になった。このことは私達の時間の使い方を微妙にではあるが変えた。私たちは今までバスの待ち時間などコマギレの時間の中で色々なことを考えてきたような気がする。▼それは一人で考える孤独な時間であったのかもしれない。その時間を他人との日常的なやりとりで埋めてしまう。日常生活の中でも数少ない、自分自身と向き合うということができる時間だったのかもしれないのに▼コミュニケーションとは「伝達」という意味である。私達は自分の考えを持たずして、何を他人に伝達しようとしているのだろうか。一人で考える時間、それも必要だろう。私達の物を考える時間がさらに減っていくとすれば、伝達するその内容も貧困なものへと変化していくのではないだろうか。 宮田清彦  

 

  


 

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