闘争本能とでも言えばカッコイイが、何かの拍子にでん部へ着火され、理性の働くまもなく汗ほとばしる行動が喚起されることが、人には間々ある。矛先はオサマ・ビンラディン▼今回の場合、行動への過程は道理として理解可能である。あれほどの同胞への惨劇を目前にして、目には目を的な感情が芽生えるのは当然である。悲しみと怒りとが、そして何より正義としての自負が彼らを後押しする▼次第に彼らを突き動かした根拠が、ナショナリズムの異常な高揚を背景とした、ヒロイズムへシフトしてきている。ブッシュやNY市長のハリウッド的発言、そしてそれらへの支持率の急上昇は、そうとでも勘繰りたくなる▼もはや彼ら支持者は、勧善懲悪ものを観るかのように、悲しみや怒りという感性的根拠に距離を置く。あたかも善と悪という理性的判断に基づく構図の中に、英雄の活躍を見出そうとしているかのようだ。さらにその英雄たちは、テロに屈しないという大義名分による軍事的報復を正当化するならば、その判断の際もワンクッション置いた、良心的な理性的判断の余地があったはずである。しかしその結論も汗ほとばしる感性的行動を呼ぶものでしかない▼感性に喚起され理性により判断し感性的行動に走る、米国。トランス状態の国威高揚の中、殴られたら殴り返す感性的行動と、一方で意外にも彼らが奉仕活動など沈着冷静な行動を対内的には行っていることが、こうしたロジックを見失う要因になっている▼不謹慎の謗りを恐れずに言うならば、つまり彼らが選択した報復が、いかにも理性と感性が渾然一体となった人間的行動に見えてしまうということである▼ナショナリズムの異常な高揚が、国家とテロ組織との対立構造を対イスラム社会にまでスケールアップし、戦争と言い切る指導者たちは英雄となる▼今後の報復が決してテロ防御策とならないのは周知である。問題はこうした極めて原初的な闘争本能による感性的判断が、過去そして今回、何を招いたかである。

 

  


 

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