「活字離れ」といわれる世代のご多分に漏れず、文章を読むのが苦手だった。活字を追うこと自体が嫌だった。本を読むことの意義が分からなかった▼大学受験をするにあたって文系を選び、やはり現代文には苦労した。だが、多少なりとも文章を読むことのおもしろさ、論理を追い、筋道を立てて考えることの大切さを知ることができた。というかそこでやっと気付いた▼大学に入学。とりあえず単位を取るために授業には出る。単調な日々を送る。ところが最近になって将来の明確なビジョンを見出すことができず、進むための方向性も定まっていない自分を危惧し始めた。具体的に何を探求したいのか、今の自分には何ができるのかとあれこれ思索する。しかしやがて行きづまり、倦怠してくるが、また漠然とした焦りを感じて、考え始める。出口の見えない自問を繰り返す。答えが見つからない▼ただ、自分の頭の中だけで悩んでいても仕方ないので、「思考の技術・発想のヒント」という一番自分の印象に残っている本を読み返してみた。それには「自分を知ろうとすることは難しい。面倒なことだ。それを根本的に解決しようと解答を出そうと考えるのは単なる理想の追求だ」といった内容の記述があった▼自分はただ理想を追っていただけに過ぎなかった。自分の都合にあった答えを求めようとすること自体、安易な発想だった。そんなものが用意されているわけがなかった。何ら建設的な努力もしないで、ただ単にそれらの悩みがひとりでに改善されるのを待っていただけでだったような気がする▼自分の適性を客観的に見つめ直しつつ、関心を多方向にむけてみる。多様なチャンネルをもてるように、視野を広げる。そこから自分の進む方向性がやっと見えてくるのではないか▼精神的に「くさっている」ときは読書することがなによりの処方箋になる。これからは思考の助力となるツールとしての本をもっと活用していきたい。

 

  


 

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