初めてのひとり旅で行く場所に鎌倉を選んだことには理由がある。留学していた頃に「宗教は何ですか」と、よく聞かれた。その度に友人と顔を見合わせ、あいまいに微笑んだり、仏教あるいは無宗教だと答えたものだった。しかしそのどちらでもないことは自分でもよくわかっていた。自分の宗教も満足に答えられないことに外国の人には飽きれられた▼日本では、教会で結婚式を挙げ、寺で葬儀を行う。家にある仏壇の前でクリスマスにはケーキを食べる。宗教も何もあったものではない。それに比べ、カトリック信仰者はまったく違う。キリスト教徒の友人に、神について問い掛けたことがあった。彼女は、神がいなければ今の自分は存在していないだろうと答えた。そこまで神をすべてに考え、崇拝していることに驚愕した。彼らの前で「ゴッド・ブレス」などと意味もわからずに騒ぎ、クリスマスを祝う日本に違和感を覚えたのはこの頃だった。簡単に何にでも手を延ばし、そのことで中途半端な位置に立っているように感じたのだ。日本には独自の色がないように見えた。特に宗教をたやすく考える日本が嫌だった▼鎌倉に着くと、いくつかの寺院を廻り、高徳院で鎌倉大仏を見上げた。社会科見学らしき賑やかな小・中学生やリュックを背負った年配者たちと並んで歩いているうちに、日本の文化や歴史が見えてきた。それらを象徴する寺院や境内に構える大仏様や観音様の中に、確かに仏教は生きていた。現代に残る文化を身近に感じた。日本が誇れる偉大なものであった。まだ仏教は人々と隣り合わせで存在していたのだ。思えば近所にはたくさんの寺院がある。参拝者も日々絶えない。それが何よりの証拠だった▼カトリックの祝いなどを取り入れてはいるが、日本には仏教が今でも浸透していたのだ。これも一つのあり方だろう。変えることの出来ない色に染まるのも良いが、様々なものを取り入れ、新しい文化を積み上げていっているのだ▼これが日本なのだと思った。日本が好きになった。鎌倉の空を見上げ、仏教について考えた。

 

  


 

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