日本にも先人たちの確かな思いやりを知ることができる日がある。世界に目を向けてもそれは同じことで、やはり多くの国に存在する。それは父の日と母の日だ。一般的には知られていないことだが、父の日と母の日の原点はアメリカにある▼制定されたのはともに一九〇〇年代だが、経緯は異なる。父の日は、南北戦争で軍曹を勤め上げた父が、母の病死後、再婚もせずに自分たちを育ててくれたことに対する子供たちの感謝の念から生まれたものだ。後に、父の日には白いバラを贈るようになったところもある。母の日ができたきっかけは、生徒たちから慕われていた女性教師が病死した後に、彼女のことを忘れないようにと、彼女を尊敬する教え子たちと彼女の娘が教会に集まったのが始まり。因みに母の日にカーネーションを贈るというのは、彼女の娘がカーネーションを教会での集まりに持ってきて、墓前に供えたことが始まりだといわれている▼たとえ起源が異なっていても、この二つの記念日が本当にその人を思う気持ちから生まれたことに違いはない。だからこそこの二つの記念日は世界に広がり、受け入れられたのだ。私たちは、先人たちが身を持って伝えてくれたその意味を汲み取るべきだろう▼時は流れ二〇〇二年日本。その存在が当たり前となってしまったせいか、面と向かって両親に感謝の言葉を述べることができる人は少なくなってしまったように思える。むしろ反対に、その存在を疎ましく思っている人も多いかもしれない。確かに人にはそれぞれ事情があり、もしかしたら疎ましく思わせているそれは、他人には理解できないものかもしれない。しかしそんな人にこそ、この二つの記念日が存在するわけをもう一度考えてみてほしい。子供にとって親がいつまでも親であるように、親にとって子供はいつまでも子供なのだ。もう一つ言っておくと、白いバラとカーネーションの花言葉は尊敬と愛情だ。

 

  


 

COPYRIGHT(C)法政大学新聞学会

このホームページにおける全ての掲載記事・写真の著作権は法政大学新聞学会に帰属します。

無断転載・流用は禁止します。

SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送