「目覚めた女がイヴであり、目覚めぬ女が聖母マリアだ」。高橋たか子が『性―女における魔性と母性』で述べている言葉だ。ここで言う「目覚め」とは自己の魔、あるいは悪、つまりエゴイズムについてである。確かにしてはいかぬことを犯したイヴはミステリアスな魔性の女に映る▼高橋たか子はさらに、性別に関係なく人間には潜在意識に「魔」が存在することを主張している。そのエゴイズムは多くの場合、単純に欲求として表れ、自己の意志を支配する。嫉妬や執着などの恋愛における過程は、すべて欲求というエゴイズムから生まれるものだ。それは様々なものにと変化し、他人との接し方にも応用される。つまり人間は常に計算して生きていることになる。他人の思考など関係ないとするその態度すら、係わりたくないという無関心を装う計算だろう。しかし、エゴイズムは命あるものが持って生まれたものであり、他人も自分も汚れた者として見ればまったく同じなのだ▼誰にでもあるこのエゴイズムは、時代と共に汚れを増しているようにとれる。昔は良かった、などと言っても始まらないが、現代では自己の利益だけを考えて過ごしている者が多すぎるように感じる。エゴイズムは恨みや憎しみだけにとどまらない。金、権力、武器を持ち、それが今日の殺人や戦争の拡大へと繋がっている。情報メディアや文明の発達に伴い、人間の欲求はどんどん大きくなっているのだろう▼日本で初めて成立した憲法は、飛鳥時代に聖徳太子が作成した十七条憲法だといわれている。真心を持て、欲望は捨てろなどきわめて道徳的な事が書かれてある。それが憲法として存在していた時代があった。ところが現代の日本国憲法には道徳に関する条文はない。これは、現代の道徳が欠如していることを表しているようだ。「和を以て貴しと為」ときれい事を並べて生きていくのは現代においては難しいことを痛感する。      (飯島真紀子)

 

  


 

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