「このごじゃっぺがー」高校時代、体育の授業に先生が、生徒の髪型を注意した。地方で様々な使い方があるようだが、私の地元では「ごじゃっぺ」は、「馬鹿者」と言うような意味で使われている▼この頃、「馬鹿者」を「ごじゃっぺ」と聞くとそこに独特の暖かさを感じるようになった。「ごじゃっ」と言う、音。元々は、「このごちゃごちゃ言う馬鹿者が」ということだったらしい。馬鹿者、と言う言葉よりも、話し言葉から来た「ごじゃっぺ」の方が私には人間臭さを感じられ、そのだめっぷりがストレートに伝わってくる。そして名ゼリフの「だめだこりゃ」を思い出す。その後にはその笑劇と同じ様にたっぷり暖かい笑いが込み上げてくる。ただ、一辺倒に「馬鹿」と言うだけでは生まれない、言葉の楽しさがそこにはあった▼「東京と、田舎の寒さの差は、人にある」なんて友達が言っていた。都会の人は冷たい、と言われる。しかしそれは、個人の善悪と言うよりも、団体という環境の為かと思う。流行りの服を着て、クールなことをしなくてはいけない。逆に周りがしないなら、「人を助ける」と言う行為すらも出来なくなる。そうこうしていく内に、個人は団体の中で真平らなものになり、寒さはやってくるのではないのだろうか▼東京では、方言を使う人間を余り見ない。方言コンプレックスなんて言葉が存在するのだから悩んでいる人も多いのであろう。しかし、私は東京と言う大きな団体の中で、真平らになることなく、方言が使われるといいと思う。言葉は人間があってから、存在するものだが、その人の生活も性格も、それまで生きてきた環境さえも反映する。つまりそれは、一つの「個性」である。そこにある、特有の面白さも、人間臭さも、恥じるものでは決してない。むしろ、方言を使う。それだけで少しは東京も暖かくなるのではないだろうか▼大学に入って二回目の冬が来た。相変わらず、東京の冬は寒い。だから、そんな冬の日に外堀のベンチに座って、「ごじゃっぺ」と一人つぶやく。思わず、声を出して笑ってしまった。

 

  


 

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