私の机の上には海苔が置いてある。別に何てことはない、小さなパック海苔だ。家族には「汚いから捨てろ」と言われ続けているが、こっちにそのつもりはさらさらない。何か忍びなくて捨てられないのだ。私にとって大切な思い出だから▼「やあ、君達。日本の学生かい?」今年の正月に韓国へ旅行に行ったときの話である。昼食を食べに入ったある店のマスターが、日本語で私たちに話し掛けてきた。韓国では最近ほとんどの店に日本語を話せる店員がいたり、日本語のメニューが置いてあったりする。私たちはそのマスターと政治からスポーツ、そして文化に至るまで様々な話をした▼一時間位話し込んだだろうか。最後に、マスターはこんな言葉を掛けてくれた。「今、残念ながら君たちと私は別れなければならない。それはとても悲しいことだ。でもそれはお互いに新しい誰かと出会うために仕方のないことだ。だから笑顔で別れよう」と。確かにそのときは旅先の高揚感も手伝って少し感動した。しかし、ありきたりといえばありきたりの言葉だし、その後わざわざ思い出すということはなかった▼そしてつい先日、サークル、アルバイト先と立て続けに送別会があった。今まで親しかった方々と別れ、本当に悲しかった。だがそのとき、ふとある言葉が頭をよぎった。マスターの言葉である。何か少し救われたような気分になった。普段は何も感じなくてもしっかりと私の中に「お土産」として残っていた▼言葉というのは不思議な力を持っている。普段は特に意識しなくても、あるきっかけで思い出し、勇気や希望を与えてくれる。そして新たな考え方を示唆してくれる。マスターはそんなことは考えず軽い気持ちで言ったのかもしれない。だが、その言葉が誰かを救うことだってきっとあるはずだ▼あのマスターは元気だろうか。もしかしたら今も誰かの心を動かしているのかもしれない。本人は気づいていないかもしれないが。ふと、そんなことを考えながら机の上のもう一つの「お土産」に目をやった。      (沼田康彦)

 

  


 

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