人はイメージから逃れられないという。本を読むとき、映画を観るとき、美術館に行くとき、人は幾分かの期待を持つ。特に、題名やパンフレットなどで先に情報が与えられているときは、イメージも具体的なものになる▼『水戸黄門』を観る人は期待に裏切られることはない。だれもそこに奇想天外なストーリーを望んだりはしないからだ。期待通りのドラマが続いて、期待通りのラストを迎える。それは『水戸黄門』以外のドラマでもだいたい同じだ。主人公の恋は実り、敵役は退く。いつもの形式がいつもの場所にあることを再確認して、満足する▼だが、期待通りにいかないこともある。なんとなく哲学に興味があるからといって各種の哲学入門を開いてみると、最初から理解しがたい文字列が並んでいる。哲学の入門書を読む人は、しばしば「入門書は簡単なものだ」というイメージに裏切られることになる▼私の通うべきキャンパスは多摩の山の中にある。決して悪くない場所だが、私の描く「東京」のイメージとは明らかに違う。「東京」というのは、ビルが立ち並び、一日中ネオンが輝き、甘く危険な魅力を持つ世界ではなかったのか。いかがわしい店の情報はほとんど東京のものだし、先輩の友人は新宿を普通に歩いていて突然刺されたという。皇居から歌舞伎町まで、「東京」にはきっと何でもあると思っていた▼しかしそれは山手線内の、ほんの一部の話だ。実際の東京はとても大きな地方都市でしかないとも言える。私が往復する立川と八王子などは特にそうだ。東京にも田畑はちゃんとあるし、女子高生のスカートの丈は田舎よりもむしろ長い▼それでも、毎年期待に胸を膨らませた地方人がこの場所に寄り集まってくる。各人のイメージしている「東京」は様々なものであるが、地方人にとって、「東京」というイメージへの期待は尽きることがないのかもしれない。私は山の中に通いながら、「甘く危険な魅力を持つ東京」への期待を捨てきれないでいる。       (萩野谷賢治)

 

  


 

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