記者の視点 国民性表れたW杯


 

 今世界中が夢中になっているものがある。日韓両国にて開催されるサッカーの2002FIFAワールドカップ(W杯)である。 サッカーに対して熱狂的な国では仕事も会議もそこそこに、サッカー観戦が最優先である。彼らにとってそれは当然のことであり、常識外れだとか無鉄砲であるという意識は少しもないのだろう。国民全体が一つのものに打ち込めるということ、これは国民性がおもてに強く表れているということではないだろうか。

 日本ではどうだろう。毎日毎日テレビのニュースでも新聞の一面でも話題はW杯一色である。日本の盛り上がりぶりは相当なもので、急激な勢いで様々なところに波紋を広げている。それは身近なところでも見受けられ、例えばいつもは超満員の大学の講義も日本戦の日となれば聴講者は半数以下に激減してしまったり、インターネットと電話によるチケット販売日には回線がパンク状態になり、一部の携帯電話が使用不可になったりした。電車の中でも街を歩いていても、選手の名前やその日の試合を見るかといった話ばかりが耳につく。実際私もそれなりに試合結果程度は気になる。 

 一つのことに盛り上がることは大切だ。ただ、日本はそのとき限りの興味や雰囲気に騒いでいるように見える。それは、日本という国を意識する機会が日常あまりないからだろうか。我々は今回のW杯も含め国を単位とした争いになると、ここぞとばかりに結束して日本に対する所属意識を高めるのだ。

 日本には強い宗教意識も民族意識もない。そのかわり、私も認識していることだが人と同じでありたいという意識は強い。そのためか日本には何に対する流行も熱しやすく冷めやすい。これを長所と見るか短所と見るかは別として、今回のW杯で日本の国民性が浮き彫りとなった。      (直江泉穂)

 

 


   

 

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