奇跡を呼ぶ男 澤村幸明


 

 奇跡が起きた。九六年夏の甲子園決勝戦、熊本工対松山商。松山商が三対二でリードして迎えた九回裏、熊本工の攻撃。二死走者無しの場面で、誰もが松山商の勝利と確信した瞬間、打者の放った打球は大観衆で埋まるレフトスタンドへと吸い込まれた。この起死回生同点本塁打を放ったのが当時、熊本工の一年生・澤村幸明だった。結局、延長の末、熊本工は破れ準優勝に終ったが、この大会、誰よりも高校野球ファンに衝撃と強烈なインパクトを与えたのは紛れもなく「熊工旋風の立役者」澤村幸明だった。

  「まぐれ以外の何物でもないですよ」と当時を振り返るが、走・攻・守三拍子揃ったその卓越した野球センスは以前から注目されていた。熊本・八代六中学時代に全国軟式野球選手権大会で全国制覇。卒業後、高校野球界の名門・熊本工へ進学。そして一年の夏に早くも甲子園の土を踏むことになる。しかし、二、三年時は全国の舞台に立てずじまいだった。「一年の時は先輩に甲子園に連れてってもらったという感じ。やはり自分が上級生の時にもう一度、甲子園に行きたかった」。澤村の高校時代は華麗さと無念さを帯びたものだった。

  「東京六大学リーグで神宮の舞台に立ちたい。レベルの高い法政で野球がしたい」。澤村は再び日本一という目標を掲げ、法大野球部の門を叩いた。松坂世代と称された仲間と共にしのぎを削り、遂に、二年の春、澤村は公式戦のスタメンに名を連ねた。しかし、思うように結果が残せない。「自分の事で精一杯で、周りが見えていなかった」。澤村は二、三年時にリーグ優勝を経験するが自身の成績には全く満足できないでいた。

 迎えた最終学年。副将となった澤村は春季リーグ戦で打率、三・一八と自己最高の成績を残す。しかし、チームは三位と低迷。春季リーグ終了後、「秋にリーグ戦で優勝して、日本一になることしか頭にない」。もはや、自分の成績を振り返る姿などどこにも無かった。

 そして、秋季リーグ戦。澤村は大学ラストシーズンを迎える。対早大三回戦。「なにがなんでも日本一」。この想いは、九回裏、澤村のバットに乗り移った。早大リードの一対〇で迎えた最終回。早大の好投手・和田に対してフルスイングした打球は大きな弧を描いてレフトスタンドに吸い込まれた。起死回生同点本塁打。「まぐれですよ」その時のバッティングといい、コメントといい、あの甲子園決勝戦と重なって見えて仕方がなかった。早大戦は勝利したものの、結局、その後優勝争いから脱落。澤村の大学日本一の夢は、夢で終わり、法政のユニフォームを脱ぐことになった。

 澤村自身、初のベストナインを獲得した最後のリーグ戦。「法政に入って良かった」。大学日本一の目標は果たせなかったが、絶対の自信を持つ守備、天性のバッティング、そして持ち前の強運を存分に観る者に披露してくれた。卒業後は関東を拠点とする社会人野球チームに進む予定。「東京ドームでも暴れるから」。澤村の日本一への挑戦は、まだ終っていない。    (池田 陽平)

 

 


   

 

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