いよいよ開幕する六大学春季リーグ戦。入学して早速観に行こうと思っている新入生も多いのでは? 六大学野球は歴史があり、その認知度も高く、大学スポーツの代名詞として名を馳せています。我が法大の野球部も数々の実績を残し、名選手を輩出していることでも有名です。でも、伝統があるとはいえ、その歴史を知る機会はなかなか無いでしょう。六大学野球の歴史や、法大野球部の変遷をちょっと学んでから観戦に行けば、応援にも自ずと熱が入るというもの。それはやはり法大野球部OBに聞くしかない、ということで、法大が誇る大先輩・関根潤三さんに、ご自身の野球部時代や、当時の六大学野球について語っていただきました。

―関根さんが法政の野球部でご活躍されていたのは、六大学野球リーグ戦が再開した頃ですよね。

 そうだね。戦争でリーグ戦ができなくて。再開した時、世間の盛り上がりはすごかったよ。でも、法政は再開に至るまで、他の五大学と比べてとても苦労したんだよ。合宿所が空襲に遭っちゃって、合宿所も野球の道具もみんな燃えちゃったの。だから、先輩達が皆、持っていたユニホームを持ってきてくれてね。合宿所がないから、地方から来ている学生は合宿所のそばで、何軒かに分かれて下宿して。当時は食べ物がないから、朝はうどん、夜は茶碗一杯のご飯にしょうゆをかけて食べたりとかね。あと、地方にいる先輩達が試合をセッティングしてくれて、そこで試合をすると食糧をもらえるんだよ。毎日の食べ物を賄うために、地方で試合をして、そこで米やら何やらもらって、こっちに帰ってきてまた次の日リーグ戦、という日々を送ってた。リーグ戦の最中にそういうことをするわけだから、もう体力勝負だね。ほんと、他の大学の奴らがうらやましかったよ。

―何もないところからのスタートだったんですね。

 そう。グランドまで進駐軍にとられていたからね。他の大学のグランドを借りて、練習する場所も転々としてたよ。それで、一生懸命練習して、ドロドロになっても、合宿所がないからお風呂に入れない。でも、それじゃああまりにもかわいそうだっていって、先輩達が横浜からわざわざ薪をリヤカーに乗せて運んできて、風呂まで焚いてくれたんだ。もう卒業してしまった顔も知らない先輩が、だよ?法政の野球部というつながりだけで。これは本当にありがたかったね。六大学における、ある種独特な先輩後輩の絆だろうね。

―そして再開した六大学野球は、今と比べてどのような感じでしたか。

 戦前からプロ野球よりも人気があって、常に神宮球場が満員だったのね。僕ら六大学の選手には皆「プロ野球何者ぞ。」という気持ちがあった。なんせ、チケットだって手に入らない程の人気だったからね。プロ野球の人気なんて目じゃないくらい。だから、大学を卒業してもプロへ行こうとする選手はあまりいなかったんだよ。スポーツを職業にするなんて危なっかしい、なんて言って。優秀な選手は皆社会人野球に進んでいたという時代だね。

―そんな中で関根さんはどうしてプロに進まれたのですか。

 僕も本当は社会人に決まってたの。会社に内定していたんだけど、当時法政の監督だった藤田さんという人が近鉄の初代の監督になるというんで、一緒に近鉄に連れていかれちゃったんだよ。プロへ行く気なんてさらさらなかったんだけど。

―監督の押しが相当強かったんですか。

 押しが強いも何も、命令ですよ。監督にそういわれてしまったらもう逆らえない。でも、当時は六大学野球の人気は本当にすごかったし、レベルも高かったから、プロって言われても気楽な気持ちで行ったよね。入ったらすぐにレギュラーだろうと思ってたしね。

―監督の指導は厳しかったんですか。

 厳しかったよ。大学の野球というのは教育の一環だからね。スポーツで人間をつくりなさい、という信念だね。だから、本来リーグ戦に勝った負けたというのは関係ないと思う。教育の一環としてスポーツがあるわけなんだから。それが大学野球の本質だ、と僕らは徹底して教わったんだよ。合宿も練習も厳しく。でもその目を盗んで悪いことするのがおもしろいんだよね(笑)。

―なさってたんですか。

 ええ、悪いことしてましたよ(笑)。練習と食事が終われば門限まで自由だから、その間にね。  でも、厳しいのは当たり前だよね。あくまでも教育なんだから。

 最近は何かっていうとすぐ優勝だ何だって騒ぐけど、本来、大学における野球っていうのは、教育の目的でつくられた、というところが重要なんだよ。これは忘れちゃいかん、ということです。 ―今もその教育の一環という流れは続いていますか。

 続いてなければ嘘よ。そんなんだったらやめたほうがいい。その教育の中には、礼儀があり、団体生活によって得るものがある。一人でもだめな奴がいると勝てない。例えば、ピッチャーは他人のエラーを責めない、とかね。そういう面では僕はいろいろ勉強させてもらいましたよ。大事な時にエラーされたらやっぱり顔にでてしまうよね。そしたら、次の日僕は練習停止だよ。昨日まで投げろ投げろと言っていた監督が、練習するなと言いだす。それで僕は、ひっくり返りながら守備の練習をしている皆を見ている。すると監督が、「あれは、おまえが打たれたボールをアウトにするために練習してるんだ」と言うんだよ。もう、それから僕は皆がエラーしても何しても無表情になったね。そういうところからチームワークというものが初めて生まれてくるんだよね。集団で競技をする時に、一人でもおかしい奴がいたらだめになる。こういうことが教育の一環ということなんです。そういった教育の流れを、法政の歴代の監督が受け継いでいるんじゃないかな。僕は、法政でいろいろ教えてもらったからこそ、今こうして野球に携わっていられるんですよ。

―それでは最後に、新入生になにか一言お願いします。

 いい大学入ったね。法政にはいい先輩がいっぱいいるから。この学校は、適当に厳しく、適当に優しい学校だよね。

―先輩として、野球部の選手達には何かありますか。

 今まで野球を一生懸命やってきて、野球で名門の大学に入れて、これ以上幸せなことはないと思う。与えられた以外の練習、皆がやっていない時の練習が、うまくなる道だね。練習は、つい慣れでやってしまうんだけど、それではいけない。練習を好きになって、毎日コツコツやっていれば、目に見えてなくてもうまくなっていく。そうすると、結果的に優勝がついてくるから。たくさん練習して、他の人よりも優れた選手になれるよう頑張ってください。

 

  


 

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