空手の力強い突き・蹴り技、柔道の投げ・極め技、そのすべてを使用することが許されている少林寺拳法。しかし、相手と戦い、そして倒すというような格闘行為は見られない。日本的な「和」の思想に則して生まれた少林寺拳法は、技を「自己確立」の手段に限定しており、相手を打ち負かす行為は禁じている。
 一般の大会では、技を出しあって戦っているように見せる「型」の競技しか行われないのだという。それをうまく魅せるには、いかに高度な技を連続して、しかも正確に行えるかが鍵となる。そのため、練習では太極拳のようにゆったりと、力を抜いて構え、ゆっくりと体の動きを確かめながら、技を繰り出す。その動きを少しずつ早めながら繰り返すのである。静かな、張り詰めた時間が続く。私には、これが理念である「和」を表現している動きに見えた。
  「和」とは、お互いが教えあい、仲良く協調すること。練習を中断し、学生同士で技の欠点を教えあう。時には笑い声も聞こえるが、相互に確認しながら、個人の技量を高めていくのである。「新入生の九割以上が初心者ですね。そして、新入生に女の子が多い理由として護身術になることと、目的が攻撃ではないことですね。全国的に見ても少林寺拳法を行う女性や子供も多いみたいです」と野上陽平(法・四)主将は言う。少林寺拳法が女性に受け入れられるのは、格闘技特有の荒々しい雰囲気が見られないからなのであろうか。ところが、その考えは二分間の乱取り練習が始まると一変した。
  防具を身に付けた選手が向かい合っている。じりじりと間合いを詰めた選手が、相手の顔面に突きを連打する。しかし次の瞬間には、閃光のようなまわし蹴りが腹に入り、先に手を出した選手はその場にうずくまっていた。突きを手で払うとともに、蹴りを入れたのである。動きが流れている。血も流れた。この少林寺拳法の理念に全く反した乱取りを間近に見て、私は驚きを隠せなかった。
  「理念とは違いますが、六大学対抗戦では、防具をつけた乱取り形式の試合を行っています。そのための練習も必要なのです」と野上主将は説明する。体育会に所属する学生の気質として、勝利を追い求める姿勢が大学生の大会では尊重される。つまり、体育会に所属する以上、少林寺拳法は強さを求める武道に変わるのだ。
  「和の雰囲気は基本にあるのですが、体育会に所属している以上、試合に出場すれば勝ちにこだわりたい。難しいですが両者の比率を半々にしていきたいのです」。少林寺拳法の本質を求めるのか、試合がある大会へ出場するために体育会の気質を保つのか、相反する理念を合わせるのは難しい。 取材・文 早稲田譲治

 

 


 

 

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