「黙想」

 正座した岩下智久(営・四)主将の声が道場内に響き渡った。辺りの話し声が静寂へと収束する。一気に緊張感が張りつめる。静観している私の心臓は、凛々しく着座した選手に対する期待感で鼓動が激しくなった。この未体験の雰囲気が、私にそのような作用を引き起こしたのだろうか。 いにしえの時代に端を発する「剣術」。明治の世から「剣道」とその名を変え、真剣から竹刀を用いるようになってから、「護身・教養」という役目を終えた。現在、その目的が「精神鍛錬」と位置付けられ、一般的に「剣道」の名は知られているものの、多くの人々にとっては、神秘のベールに包まれている。 剣道は「面」、「胴」、「小手」、「突き」と呼ばれる部位に、竹刀を掛け声と共に的確に打ちつけることで「一本」が成立する。このため、経験がない人にはこの見極めが難しく、またその伝統武道としての地位からも、神秘的な性格を漂わせる由縁となるのである。

「ドン」

 大きな太鼓の音がその場の乾いた空気を切り裂いた。私の姿勢はその雷鳴のような響きで正されてしまった。原稿を執筆している今となっても、私の頭からこの太鼓の音が離れない。

「かかり稽古」

 練習が変わるたびに、小走りで選手は所定の位置につく。私語はほとんど見られない。すり足で進むその足は、皮がすりむけて痛々しい。だが、それでも掛け声と共に、冷たい板張りの床に足を踏み込む。 「なんだ。喧嘩ではないのか」。今まで剣道の練習をじっくり見る機会はなかった。相手に向かって体を押し付け、竹刀を何発といれず打ち込む。体を突き飛ばされ、場外に出てしまった選手は周りの選手から竹刀の雨を受ける。そしてすぐに場内へ連れ戻され、再び稽古は続く。へとへとになった肉体に鞭打たれ、気合いを入れ直した掛け声と共に、今まで以上に竹刀を打ち込む。 そんな練習を行う中での主将の姿は、私の目を釘付けにした。柔と剛という区別をするならば、間違いなく剛であろう。どっしりとした構えから豪快に相手へ竹刀を打ち込む。つばぜり合いでも決して後には引かない。相手に打たれると感情をあらわにするが、すぐに集中力が研ぎ澄まされる。練習中の相手に対しても多くの助言を与え、気配りも欠かさない。「反復練習こそ試合で勝つための大事な要素」と語り、黙々と練習する。まさに、お手本だ。主将の言葉通り、この日の練習の三分の一は基礎打ちに当てられた。

「ドン」

「黙想」

礼に始まり礼に終わる。濃密な練習が終わった。面を取ったその姿から湯気が立つ。袴が男を精悍にさせるのだろうか。まさに武士(もののふ)の生まれ変わりだ。 法政大学剣道部は過去、何度も日本一に輝く名門だ。主将は「憧れていました。勉強と剣道の両立を考えて法政を選びました」と語る。部一同は「全国制覇と人間形成」を目標に掲げ、一日二時間、質の高い練習を行っている。これにより、文武両道が可能な大学生活を送ることができる。新一年生を含めた男子三十二名は、他大との出稽古にも盛んに出向いている。 「部内は元気で明るい」と語る通り、練習以外の場所では笑顔が絶えない。そして、「礼」に対する意識をしっかりと持っている。取材は気持ち良く、滞りなくさせてもらった。「二大大会と呼ばれる関東学生大会団体と全日本学生大会団体で優勝を目指す」。はきはきとしたその声は、頼もしく、心強い。そして、好感を与える。 「生涯できるスポーツなので」との理由で「武士」は「剣術」と共に歩み続けていく。

 

 


   

 

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