関心の深化がもたらす新しい視点 
          〜イスラエルの体験から〜


 兵士によって射殺されたパレスチナ人。写真に写る非情な現実を浪人時代に見て以来、坪倉博史(社・四)はパレスチナ問題に強い関心をもってきた。「道端に打ち捨てられた遺体からは何の尊厳も感じられなかった。自分の理解を超えていた」。日常とはかけ離れた世界を目の当たりにし、強い衝撃を受けたことが国際問題に興味をもったきっかけだった。以来、彼はフォトジャーナリストを志す。

 大学に入ると、アジア、アフリカを中心に世界各国を旅行した。「一年の春休みには、パレスチナも回ったんだけど、あの頃は、イスラエル人が嫌いだった。彼らは選民思想だからさ、石を投げられたり、ファックとか言われたり」。そうした経験から、この時はイスラエル人と接触する機会もほとんどなかった。

 帰国後、イスラエル軍はヨルダン川西岸に進攻した。終息に向かいつつあったパレスチナ問題は一気に再燃した。「自分の目から見ると、国内の報道はパレスチナ側に傾いていた。ジェニンの虐殺など、パレスチナ人の『死』は報道されても、自爆テロによるイスラエル人の『死』はまず報道されなかった」。強者と弱者の単純な図式には思えなかった。暴力の最前線に立つ双方の「人間」は何を考えているのだろう? 疑問を解くため、彼は、昨年五月イスラエルへ向かった。

 イスラエルはヒッチハイクが盛んだ。レンタカーを借りて、各地を回る彼の車に一人のイスラエル軍兵士が乗り込んできた。イスラエルは徴兵制度が残っているが、彼は正規の将校である。「その彼が『戦いたくない』 と言っていた。これは嘘ではないと思う。『悪いのは、歴史と宗教と土地と政治。シャロンとアラファトが辞めればパレスチナ問題は解決するかもしれない』って」。やはり、イスラエル人とて、好き好んで銃を手に取り、パレスチナ人を殺そうとしているわけではないようだ。

 国際問題に興味をもち、行動することは意味深いように思う。しかし、先入観やステレオタイプで他人を理解することは戒めなければならない。彼のように関心を深化させようと努めることは重要なことだろう。

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